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diary
田村亮のちょっと嬉しかったこと
田村亮からひとこと

第55回 私は『お茶大好き人間』なんです(2003年8月13日)

 いつ頃からか「お茶しない?」「お茶しようヨ」と、このような言葉をあちらこちらで耳にするようになりました。日本語としては、決して正しい言葉とは思えませんが、充分に伝わる言葉です。多分、若者の間で使われ始めたものと思われまが、今では、小さなお子さんをお持ちのお母様方の間でも飛び交っているようです。昔ならば「一服しようヨ」と言うべきところ「一服」の部分を「お茶」に置き換えて「お茶しようヨ」になったのでしょうが、辞典によりますと「一服」とは、「お茶、たばこをのんで一休みすること」と記されております。そうなんです。「一休みする」ことなんです。しかし「お茶しようヨ」は「一休み」することではなく、いろいろ話したい事、聞きたい事があるから「お喋りしましょうヨ」の意味が多分に含まれているような気がします。お喋りには、お茶が欠かせないものなのかも知れません。

 しかし、お茶というものは、何もお喋りする相手がいなくてはならないものでもありません。家にいても、ロケ先のホテルにいても、ポツンと一人になった時は、なぜか無意識のうちにお湯飲みを、あるいはティーカップを手にしている事があるのです。

 私が学生時代に・・・ずいぶん昔の話になりますが、外国の雑誌によく路上にテーブルを出したレストランやカフェの写真が載っていまして、こんな所に一度でいいから行ってみたいなア・・・とあこがれたものでした。老若男女問わず、日光の下で、そよ風に当たり、のんびりと寛いでいる風景がたまらなく羨ましく思いました。すると間もなく、映画の撮影で、カナリア諸島に行くことになりました。なんとなんと、写真でしか見た事のないオープンカフェの風景を表通り、裏通りのあちらこちらで、目の当りにみたのです。その時の感激は今でも忘れられません。当時、カナリア諸島はスペイン領で―今でもそうかナ?―私は撮影の休みにスペイン語の辞書を片手に一人で訪れました。なにしろ、当時カナリア諸島といえば日本人観光客は誰一人いません。言葉の不安と、周りの人にとっては、珍しい東洋人の私に、皆の目が集中しているんじゃないかという緊張感で、平静を装っているつもりがなぜか、動作がぎこちなく、まるでロボットのようになっている自分がいて、辛かった記憶があります。こんな辛い思いをして、なんでお茶を飲みに来たんだろう・・・と後悔しきり。外国人ばかりのの中にポツンと一人座っている自分が、はじめのうちは非常に孤独に感じられましたが、お茶が運ばれて来て時間が立つと共に、気持ちに余裕が出て来て、なぜか、「僕は、地球の裏側の国で、外国人に混じってお茶を飲んでいるんだゾー!」という、妙チクリンな優越感が涌いて来たのです。海外旅行に簡単に行けるようになった今思えば、とってもくだらない、取るに足りない優越感ですが・・・雰囲気に馴染んでくると、周りの景色もよく見えてきます。通りを行き交う人々、一人新聞に目を通している人、お喋りに夢中のカップル等々・・・。お茶一杯で、結構長い時間を潰すことができました。

 お茶というものは、人生の中で、様々な時の過ごし方に適応する、大変便利な小道具といっていいかもしれません。
 今でこそ、日本でも街のあちらこちらでオシャレなオープンカフェを見ることが出来ますが、ひと昔前には、そんなカフェは全く見られませんでした。そうなりますと、大昔からある茶の湯の野点というものは、大変斬新的な趣向だと思えるのは私だけでしょうか。
 四季折々の草木や花を愛で、お茶を楽しむなんて事は、僕にとっては最高に贅沢な時間の過ごし方だと思います。秀吉の時代、京都の北の天満宮の境内を目いっぱい使って大茶会が催された時の様子を描いた絵画を拝見した事がありますが、改めて、茶の湯の歴史と奥深さを思い知らされます。

 さて、私の一日は、朝起きて、まず、お茶で梅干しを一つぶ食べることから始まります。これはテレビでお茶と梅干しは合っていて健康にも良いという説明を聞いたからという大変安易な動機ではじめた事ですが、もうかれこれ十年程続いてます私の場合は甘みのある梅干しではなく、酸っぱければ酸っぱい程よく、お茶は濃く、苦ければ苦いほどよいのです。梅干しを口に入れると、ブルブルと身震いし、その酸っぱさで顔がクシャクシャになります。そしてすぐ、苦いお茶を一口飲むのです。梅の酸っぱさと渋茶の苦さで口の中は一瞬、ほんの一瞬ですが、パニックを起こします。私にとりましては、そのパニックが何ともいえない快感なのです。一瞬のうちに目が覚めるだけでなく、体までがシャンと覚めるのです。一度お試しになったらいかがでしょうか。無理にとは申しませんが。
 とにかく私は、知る人ぞ知る「お茶大好き人間」で、好きこそ物の上手・・・のたとえがあるように、自分でいうのも何ですが、私の入れたお茶はとってもおいしいんだそうです・・・。

 なんだか取り留めのない事を書いてしまいましたが、今も私の机の上にはお茶があり、原稿用紙を二回も濡らしてしまいました。・・・梅干しは今はありません。

(茶道誌〈淡交〉2002年6月号「私のお茶時間」より)

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