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diary
田村亮のちょっと嬉しかったこと
田村亮からひとこと

第50回 天の橋立・父との思い出深い地 (2002年10月9日)

土曜ワイド劇場、山村美紗サスペンス父娘シリーズ(4)「京都祇園・天の橋立殺人事件」が先日クランクアップしました。撮影終了が夜でしたのでスタッフルームで簡単に「お疲れ」の乾杯・・・・


(左奧にいる黒いシャツが私。正面に座っているのが上杉監督・・・)

放送は来年になりますが、今回のゲストが何と8月三越劇場で私と夫婦役を演じた音無美紀子さんです。
8月25日の千穐楽の日に「お疲れさん。又どこかでご一緒しましょうネ・・・・」と云って別れたばかり。
1ヶ月もしない内に、又共演する事が出来ました。


(撮影中にチョット・・・、音無さんと)

今回、私も当然 天の橋立ロケに参加しましたが、天の橋立といえば私が7才の時亡くなった父との思い出深い所です。
父の恒例の夏休みが家族揃っての天の橋立。
〈股のぞき〉というものを知ったのも〈泳ぎ〉を覚えたのも、又、父が波打ち際で子供のようにはしゃいでいる姿を見たのも天の橋立。私が5〜6才の頃のこと・・・。

当時、宮津にあった旅館を常宿にしてましたが、午前10時頃になると海パン一つだけで、宮津港から船に乗って天の橋立の船着き場に。
そこから歩いて5〜6分の砂浜に陣取って・・・。陣取ると云っても当時は今と違って海水浴客もまばらだったような気がします。
お昼になると母が旅館で作っていただいた、おにぎり、とかゆで玉子、とかお漬物等をお重箱につめて 日傘をさして、着物姿で素足に草履という格好でやって来るのです。
昭和25〜26年の事です。
私も元気元気なガキでした。


(天の橋立の砂浜で東映の榎本プロデユーサーと・・・)


(傘松公園ロケでの合い間に・・・。遠くに天の橋立を見る事が出来ます。)

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