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diary
田村亮のちょっと嬉しかったこと
田村亮からひとこと

第108回 上海・父の足跡を思いうかべて (2007年11月5日)

上海。私が降り立った「浦東(プウドン)空港」は、あの日本一大きい成田空港も足元に及ばない程の大きな空港でした。

「世界は見ておくものだなアー」・・・・と上海の第一印象。

空港から車で45分程で上海市街。あちらこちらで高層ビルの建設ラッシュ。非常に活気に満ちた、エネルギーに溢れた街。その近代建築の狭間に残された昔ながらの古い家屋、建物は容赦なく壊されていきます。
中国は土地は全て国の持ち物で、強制的に立ち退きをさせられます。


この建物もいづれ壊されるでしょう。

およそ65年ほど前、日本がまだ戦時中の時に私の父がこの上海に足を踏み入れているのです。
母の話に依ると飛行機の大嫌いな父は家族と「別れの水盃」を交わしてプロペラ機に乗ったそうです。
目的は『狼煙(のろし)は上海に揚がる』という映画のロケ。
この映画は満州でロシアにフィルムを没収され、7〜8年程前に日本に返還されたという映画。
父が演じる高杉晋作が中国語が喋れず中国人の商人とチグハグな会話をするとてもユーモラスなシーンやら、父が英語を話す等、戦時中に良くこの様な海外ロケが行われたものだと驚かされます。


昭和18年頃、中国の首都であった南京にあった旧支那派遣軍報道部の部長室にて―。
前列右より報道部長三品中佐、中は父、左は稲垣浩監督。
昨年博多座に出演してました折に、福岡の古川靖様がこの写真を下さいました。
『狼煙は上海に上がる』のロケの時にここに立ち寄ったそうです。

その当時の上海の街並がまだ残っていると聞き、容赦なく壊される前に是非とも見ておきたいと思い立ち、上海に行って来ました。

高層ビルの脇を抜けて5分も歩けば、そこはもう築70年、80年、あるいは100年程の建造物。
「もしかしたら親父はこんな路地で撮影していたかも・・・」
あるいは10階建て程の古いレンガ造りの壊れそうなホテルを見ると、「もしかしたらこのホテルに泊まったかも・・・」等と、勝手に想像を巡らせて上海の街を歩いてみました。
そして、勿論、観光も・・・。
「上海ガニ」のシーズン!!

昔、日本人居住地であった一角。
10万人もの日本人が住んでいた
そうです。

内山完造の銅像。
1930年代日中友交に
務めた人物。



豫園の街並

壁の上を龍が泳いでいるかの様に見えます。


拙政園(ぜっせいえん)


   蘇州四大庭園の一つで世界文化遺産にも登録されている

 


上海では「オールド・ジャズバー」は非常に有名で
トランペットの奏者は85才、ドラマーは82才と・・・長老の方々ばかり。

私の友人の会社「七彩」の上海支社の皆さんが案内役を務めて下さいました。
左から馬場さん、孔さん、そして宋さん。
寒山寺の前で・・・。

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